酔眼読書漂流記

読んだ本の紹介と感想などを、酒を片手にゴソゴソと綴っております

鍵の掛かった男/有栖川有栖

同業の作家でありながら、畑違いで面識のなかった影浦浪子から有栖川有栖へ突然の相談を持ちかけられます。それは、大阪中之島にある銀星ホテルで亡くなった梨田稔についてでした。彼は、自室で首をつった状態で見つかり、警察は自殺と判断しました。梨田と面識のあった影浦には、彼が自殺したとはどうしても考えられず、この件について有栖とそして火村英夫に再調査を依頼してきたのでした。果たして彼の死は自殺か他殺か。

調査はまず、梨田は何者だったかを探るところから始まります。彼は5年ほど前から銀星ホテルのスイートルームに住み続けていましたが、周りの人々に自分のことはほとんど語らず、閉ざされた過去はまさに「鍵の掛かった男」でした。

前半は、火村が大学入試で忙しいため、有栖独りで調査に当たります。梨田と面識があった数少ない人々からの些細な証言を頼りに、梨田の人生を少しずつ探っていきます。このあたり、ハードボイルドに近いものがあって、いつもと違うパターンが新鮮です。探偵有栖もなかなか様になっています。彼の鍵の掛かった心の奥に仕舞ってあったものは何だったのか。有栖の調査で浮かび上がるのは、ひとりの男の贖罪と葛藤の物語。残酷で悲しい結末ですが、希望も見える結末は、読み終えて暖かな気持ちにさせてくれます。

さて、これから先若干ネタバレになるので、未読の方はお気をつけください。

梨田の死は自殺か他殺かってことですが、物語の主題が梨田の過去にあるのならば、意外と実は自殺だったなんてこともありかな、なんてことを思いながら読んでいました。犯人はいたわけですけど、梨田の死に関する謎は副次的なものですね。誰が犯人でも、という気はします。

それでも、今回の犯人は火村にして「私がこれまで出会った中でも屈指のタフな敵」と言わしめたほど。なにせ、土壇場になるまで自殺か他殺か迷っていたんですから。しかし、犯人がとった些細な行動からその存在を見抜く火村の推理は、少々ややこしいし唯一無二に犯人を指し示す証拠ではないとはいえ、見事なロジックです。

犯行の動機を含め、犯人の考えはよくわからなくとも、実際に起こりうるかもしれないのが怖い。人は誰しも少なからず悪意は持っているでしょう。それが最大限に発揮されてしまうとどうなるのか。皮肉なことにこの犯人は、自分の悪意のために墓穴を掘る形になりました。犯人の最後の独白もわかる気がします。やはり人は悪意と善意の間で揺れているものなんでしょうか。

以下は余談として。今回の舞台設定は2015年。ついに(?)火村はスマホを使ってたりします。火村・有栖コンビのデビュー作が1992年のこと。その当時はいわゆるガラケーでさえ珍しいものだったのを思えば、二人が歳を取らないってこともあって不思議な感覚ですね。時は流れているんだという。作中有栖がスマホに関して「たちまち過去の遺物になりそうに思えて小説で書きにくい」とぼやいていますが、これって著者のぼやきでもあるんでしょうね。

時は流れているといえば、この物語では梨田の来歴を調べていく過程で、過去の事件事故などが取り上げられます。阪神淡路大震災から20年。日航機墜落事故からは30年。改めてその年月を意識すると感慨深いものがあります。目に見えるのは「今」という瞬間しかありません。過ぎた時間というものは何なんでしょう。見えないその時の集積が人を作り、それに縛られる。梨田稔は過去の呪縛に強く影響されてしまったんでしょうね。

さて、作中でも都度取り上げられてますが、もう一人「鍵のかかった男」がいます。誰あろう火村英夫。彼の心の鍵が開くことはこの先あるのでしょうか。

鍵の掛かった男

鍵の掛かった男