米澤穂信を読むのは、「追想五断章」以来。その時も感じたが、なんとも枯れた文を書く人である。知らず昭和時代の作家のもの、と言われれば信じそうだ。
どれもビターなテイストの6編。謎解きのおもしろさと言うよりも、真相が分かることで見えてくる人の持つ恐ろしさ、虚しさ、儚さ。そんなやるせなさを味わうのが面白さであり魅力なのかもしれない。
夜警
殉職した新人警察官の川藤。彼はなぜ死ななければならなかったのか。心の弱さってことを考えさせられる一編。あるいは狡さか。川藤のとった行動は、誰にでも起き得る心の隙じゃないか。
死人宿
突如姿を消した佐和子の居場所は、多くの自殺者が訪れることから死人宿と渾名される温泉宿。二年ぶりに再会した佐和子は私に、今夜の客の中の誰かが書いたと思われる遺書を見せて言った。この人を見つけて救えないだろうかと。二年前に佐和子の窮地を救うことができなかった贖罪の念から自殺を阻止しようとするが。
人を救うなんてことは、所詮自己満足でしかないのか。そもそも本当に人を救うなんてことができるのか。 なんともやるせなく皮肉なラストが待ち受ける一編。
柘榴
夫がほとんど家に寄りつかず、女手一つで二人の娘、夕子と月子を育ててきたさおり。夕子が高校受験を控えた年、離婚を決意する。離婚そのものは問題なかったが、親権を争うことに。そこで、夕子と月子がとった意外な行動。
いやはや、なんともアヤシイお話である。言うなれば魔性ってことになるんだろうか。さおりと夕子の二人の視線から描かれているのが最後に効果的。母親側から見た事実と、娘が想う真実。暗澹たる気分にさせるお話である。
万灯
この中では一番のお気に入り。
「私は裁かれている」という独白で物語は始まる。その言葉の主は、バングラディシュで天然ガスの開発に携わる伊丹。やがて、彼が開発を成功させるために二人の人間を殺害したことが明かされる。何もかもうまくいったかに見えた矢先に訪れた「裁き」の正体とは。
なんとも上手く、そしてゾッとする話である。いわゆる倒叙モノの範疇で、最後に意外な証拠が決め手になる。その証拠が残酷なのだ。それはまさに裁きそのもの。辞して待てば破滅、かもしれない。しかし、助けを求めれば確実に破滅しかない。まさに神のみぞ知る、なのだ。ああ、やだやだ。たとえ犯罪を起こしてもこんな状況には陥りたくない。
関守
伊豆のある峠にまつわる都市伝説の取材に訪れたフリーライター身に起こる恐怖。まぁ、怪談話であって、それ以下でも以上でもない、かな。途中でおおよその結末は見えてくると想う。しかし、妙なリアリティを持って心に引っかかってくるのは、著者の巧さか。それにしても、やはり世の中で恐ろしいものは人間なのである。
満願
学生時代に世話になった下宿先の鵜川妙子が起こした殺人事件。弁護士として独り立ちした私は、彼女の弁護を引き受ける。
彼女はなぜ人を殺めたのか。人は見かけじゃわからないと言うけど、その胸のうちに秘められた想いは他人には伺いしれない。ここで言う満願とは何か。事件の本当の姿が見えた瞬間、そのことに気づく。主人公の目を通して描かれた妙子像が一変する瞬間でもある。人の本当の恐ろしさってのは、こういうところに隠れているものだ。